桜の観光名所@東京
先日、外国の友人から「東京観光をしたいので良い場所はないか」と聞かれました。とりあえる、桜の時期なので目黒川、井の頭公園あたりをオススメしたのですが、意外と一日満足できるスポットって知らないなあと言う印象。単純に桜だけ見るなら穴場があるけど、桜見るだけだと飽きるからね…
そんな中、ひょんなことで学生時代の友人に誘われていった散歩道が非常に良かった!すごい日本を感じるし、割と一日満足できるけど、外国人観光客はあまりいなかった。これは穴場になる気配。
<そのときのルート>
飯田橋駅で待合せ
(東口にしてしまったが、西口がよい)
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神楽坂の雰囲気を楽しみながらススム
(一本横道に入ると、めちゃめちゃ雰囲気のある料亭がたくさん)
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善國寺
(狛犬でなく虎だった、嵐ファンの絵馬多数)
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(嵐ファンの絵馬多数…ドラマの撮影で使われたことがあるようで。たぶん8割くらい嵐関連)
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北上して江戸川公園へ
(神田川に沿った桜並木がきれい。雰囲気がある)
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椿山荘にお邪魔する
(庭園見学はタダ。小川に椿の花が落ちるよう庭を作ったり、考えられてる感)
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肥後細川庭園にお邪魔
(庭園見学はタダ。椿山荘とは雰囲気が異なり、小ぎれい)
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別ルートで飯田橋に戻る
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水辺のCANAL Cafeでお茶
(夕方になっていたのでやや寒かった)
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飯田橋で解散
まあ、大枠こんな感じ。
いいところは…
- 桜が楽しめる!
- 人が適度!
- 日本を感じる!
- 低コスト(コーヒー代だけ)
注意点は…
- 10kmくらい歩く。ふたりとも散歩好き必須。歩くの嫌いなら、赤城神社まででもいいかも。
- 夜ご飯まで食べると少し高くなるかも。デートなら雰囲気あってよし。
- 嵐ファンの痕跡が激しい。アンチ嵐は嫌かもw
写真撮っておけばよかったなー。
お出かけは本質的に「誰と行くか」だけど、話していて楽しい人と行くにはオススメです。
あー、いい一日でした。
仕事をつまらなくするコツ
仕事をしていたとき、20名足らずのチームを持っていました。
僕の管理者としての力不足で、みんなには申し訳なかったと思うことも多々あります。
すごく優秀な方々で、僕にはもったいなかったです。
メンバーにモチベーション低下を感じるときがありましたが、共通点があったように思います。
それは自分も同じです。反省を含めてメモ。
・自分が貢献していないと思わせる
皆何かしら貢献しています。でも貢献していないと思い込んでいるパターンが少なからずあります。
貢献していないと思い込むと、不自然な挙動になります。人の手柄を横取りしたり、できないことを「やります」と言って破綻したり、いい事なしです。
そして、それも上手く行かなくなって徐々にやる気がなくなるという負の循環。
これが発生する根本は感謝する文化の欠如でしょう。本当は貢献しているのに「役に立っているよ」と示してくれるひとがいないと負の循環がいたるところで発生する環境になります。どんな小さなことでも感謝し認める文化が育つと、不幸な環境から抜けだせるっぽい。
「何も貢献していないやつはいるじゃん」という心の声が聞こえますが、本当にそうなら適材適所に配置していない管理者のせいです。適切なタスクと伝え方ができれば人は動く(と信じている…)。今までの失敗を考えると、「こんくらい簡単なことならできるだろ」という方向性でタスクを伝えていたなあと。「できても大したことない」仕事にやる気なんて起きるか。簡単な仕事であってもチームにとっては必要なはず。だから「大切な仕事をお願いしたい」という心からの気持ちを持って依頼する必要がありますな。
・自分の能力が向上していないと思わせる
成長実感はすごく大切。一日8時間以上働いているんだから、皆何かしら成長しています。
僕のチームの中に離職した方がいました。表向きは家族の都合でしたが、おそらく成長実感がなかったからだと思う。申し訳なかった。
管理者は成長していることをちゃんと伝えてあげる必要があります。さらに続けて成長できるように次のステージを明確に示してあげる必要も。「○○ができるようになったのはスゴイ。次は○○の立場を期待していて、そのためには○○をやってほしい」という日常まで下りた道しるべ。
先輩からキャリアパスのコーチングが大切だと聞いていたけど、日々の仕事で考えが回らなかった…優先順位の問題。
ポジティブな事実をちゃんと伝えてあげたいという話でした。あと、伝えてほしいという話(^ ^;)
もしまたチームを持つことがあったら、この2つが起きないように気を付けよう。というか、本来管理者のメインの仕事な気がする。
家族だと父親の仕事かもね。
新元号と安息年の始まり
今日新元号が発表された。
奇しくも今日が安息年開始日。
元年に新しい試みをやるのもなかなか心地よい。
元号については早くもいろいろな人が色々なことを言い出しているので、
落ち着いたら少し確認してみようと思う。
とりあえず一番大きそうなのは、中国の文章からではなく日本の文章からの出展であること。
いろいろなことが起こりそうな時代の幕開け。
平成元年。物心はついていたと思うけど、まったく記憶になし。
3歳で引っ越しをしたので、2-3歳の記憶は断片的にあるけど、
家と目の前の公園が世界のすべてだったように思う。
記憶にあるのは、公園の前に大きな階段があったの、公園のアリが今では信じられないくらい巨大だったこと。
大人になってその場所を訪れたとき、階段の小ささに驚いたものだった。
たぶん、アリも本当は小さかったはず。
あれから多くの時間が経って、世界は少しだけ広がったみたい。
でももしかしたら、「令和」の終わりには、今の自分の世界があまりに狭くて、
難しい問題と思っていることが実は些細なことだったと言っているかもしれない。
というか、そう言える令和を過ごしたいと思った次第です。
「見えてる見えてる、はマブタの裏が見えてる」
「安息年」が存在するわけ
ユダヤには、7年に1度、1年間耕作をしてはならない期間が存在します。「安息年」です。これは旧約聖書に教えが書かれています。(レビ記25章、申命記15章)
旧約聖書には理由も書かれています。それは土地を休めて今後の収穫量を確保するため。ずっと作物を育てていると土地がやせてしまうからですね。
でも面白いのは、他にも命令が書かれていることです。全体で大きく3つ。
・1年間耕作をしてはならない(前述)
・借金をチャラにする
・奴隷は解放される、ただし希望があれば主人の家に残ってよい
3000年前とかの記事なので、耕作がメインの労働だったし、経済的な基盤だったはずです。なので、ほぼほぼ労働禁止です。
ちなみに、農地から勝手に生えてくる食物は食べてよく、土地の所有者だけでなく貧しい人たちも自由に食べることができました。面白い。
でも単純に土地を休ませることが目的であれば、輪番制がよかったように思えます。イスラエルは12部族だったので、年間2部族ずつ割り当てて、土地を休ませつつ、経済的なリスクを減らす。ルールは「休んでいる部族に分けてあげましょう」の方が現実的なんじゃないか…
でも、国全体が一気に休むことが命じられました。
それって「関係の回復」が最も大切だったからじゃないか???
忙しい、借金、主従関係、これらの影響で崩れた人間関係ってかなりあるように思えます。学生時代はすぐに会える友達がたくさんいたのに、働き始めたら減りました。互いに忙しくなったからです。お金を貸して疎遠になった友人がいます。たぶん、向こうが気が引けているのだと思います。上司と部下の関係で出会ったけど、別の出会いをしていたらよい友人になったと思える人がいます。
教会の中でも奉仕ためだけに集まると、お互いの人格に目が留まらなくなることがあります。かなしいかな、それなりにある気がする。
そして何よりも、ゆっくり聖書を読んだり考える時間が少なくなった。
これらの関係、すなわち神と人との関係を再構築するために、全員いっぺんに休むように命じたのではなかろうか。
聖書を読んでいて思うのは、本当に良好な関係の中で、人は幸せを感じるということ。
1年間仕事を休むのって結構勇気がいることだったけど、ちょっと実験的にやってみる。(この文脈だとひとりでやっても意味なし、ってことだが)
実験、実験。
「見よ。なんという幸せ なんという楽しさだろう。兄弟たちが一つになって ともに生きることは。…主がそこに とこしえのいのちの祝福を命じられたからである。」詩篇133篇
社会人常識がない教員?
僕は教員家系の生まれです。親も兄も教員です。また友人にも教員をやっている人たちがたくさんいるので、学校のことについて耳にすることが多いように思います。
彼らは非常に有能で、努力家で、子どもの成長を願っている人たちです。僕は尊敬しております。
ニュースを見ると「社会常識のない教員が増えてきて社会問題になっている」という記事をよく見かけます。大学を卒業してすぐに「先生」になるので視野が狭くて常識がないらしい。
でも「社会常識」って一部の人が勝手言っているイメージです。「仕事でLineつかうのは非常識」みたいな。
10年以上サラリーマンやって思うのは、「サラリーマンも常識人ばかりではない」ってことです。愚痴をばらまいたり、納期守らなかったり、自分の意見を通すために大声を出したり、そんな人も少なからず見ました。(幸い、僕の同僚にはあまりいなかったですが)
「自分にしてもらいたいように、人にもする」
常識の本質はコレだと思っています。
ここから派生して、約束を守る、相手に敬意を払う…となり、更に具体化すると「相手がLineに馴染んでなかったら、仕事でLineを使わない」となるイメージ。
本質がしっかり捉えられていれば、表現方法は無限。業界によって多少差があっても、ちゃんと大人として対話すればよさそうだけど。
もしニュースが本質が失われつつあることへの継承であれば、それは悲しい。でも、それって業界に依存してるのかな。
書きながら自分は常識ないヤツだなと思ってしまいました…今一度、原点に立ち戻ろう。
年長者から学ぶこと
昨年脱サラして農家になった友人いるのですが、先日東京に来ていたので話を聞きました。サラリーマンから農家に転身するとカルチャーショックも大きいみたいです。
やや語気を強めて言っていたのは、様々な制度が末端まで浸透していないこと。
若い農家を誘致するために多くの政策が取られているようですが、役所の方々も把握されておらず、手続きが遅々として進まない、もしくは間違って伝えられることが多かったそうです。役所の現場からすれば、新しい施策がたくさんでてくるのに加え、実際に経験する件数が非常に少ない状態なので、気の毒ではありますが…
自治体や農協を頼るのが難しかった彼を助けたのは、近所の先輩農家でした。実際の農業のやり方はもちろん、農機具のレンタルや土地の貸借に関することまで、サポートしてくれたようです。
いろいろ話してくれましたが、印象的な知識がありました。
「新月か満月の3日後」
最も効果的に農薬をまくタイミングです。害虫を含めて、あらゆる生き物は新月か満月のときに新しい命が誕生します。なので孵化してしばらくした後に農薬をまくことで、少量の農薬で効果を発揮することができるのです。
満月話は、知識としては中学生でも知っていますが、自分が農家を始めても農薬のタイミングに紐付く気がしないです。これぞ知恵!
農家は平均が80台、60代が若手と言われる世界、偉大な先輩たちです。
テクノロジーの進歩が著しく、上の年代を軽く見やすくなる時代だけど、ちゃんと年長者から学べる人間でありたいと思うこの頃でした。
「見えてる見えてる、はマブタの裏が見えてる」
虎とコアラ リーダーシップの両極端
リーダーシップについて最近しっくりくる例話を聞いたのでメモ。
出典は不明。オリジナルかなぁ。
ヒツジと虎とコアラ
あるところにヒツジの群れがいました。
そこにリーダーとして虎がやってきました。ヒツジたちは強い強い虎を見て喜びました。虎は力を持って外敵から守ってくれました。
しかし、虎はヒツジたちを力によって支配しました。ヒツジたちは徐々に虎に意見が言えなくなってきました。
ヒツジたちは不安を持つようになりました。
ある日、ヒツジたちのリーダーが変わりました。虎からコアラになったのです。
ヒツジたちは寛容なコアラを見て喜びました。コアラはすべてのことを許可してくれました。
しかし、コアラはヒツジたちを放置しました。ヒツジたちは何も主張しないリーダーに何も相談しなくなっていきました。
ヒツジたちは不満を持つようになりました。
リーダーシップの両極端
今まで多くのリーダーたちの下で働いてきて、どちらの状態もすごくしっくりきました。虎がリーダーの組織では、チーム全体がどんよりしていました。意見を言うことができない状態は、思考停止を招きます。自分で考えたとて聞いてもらえないので、考えるだけムダです。ちなみに考えなくても手だけ動いていればよい仕事では、虎型が一定の成果を出すらしいです。だから昔の奴隷船のオールを漕ぐときとか、ひたすら同じことをさせるときは効果的ではあった。
でも、現代において、完全に思考停止した状態でできる仕事は少ない(というか、これから劇的に減る)ので、虎型リーダーは行き詰まるんじゃないかな。
一方、コアラリーダーの下にいたときは、とてもイライラしました。「寛容」の旗を掲げ、すべてのことが許容される結果、真面目にやるのがアホらしくなります。例えば、期日を守らないやつが何のお咎めもなければ、頑張って間に合わせるのは労力のムダです。メンバーが大人であれば、良心と自己のプロ意識で何とか投げ出す状態は避けられますが、個人の良心に基づいたチーム運営って…聖人を集めるしかない。
現代日本では、コアラ型が増えてきたように思います。虎が跋扈した昭和の反動で、虎狩りが行われてますし(日大問題とかボクシング協会とか)
でもコアラも最悪のうちのひとつです。
どうすればよいのか
「バランスをとりましょう」は一つの結論として良いと思います。が、数十年でこびりついた性格なので、変えるのは結構大変。
僕はどちらかというとコアラで、振り返れば部下たちに申し訳なかったと思っているのです。少しでも悪影響を減らすように、主張(ダメなことはダメという 笑)を練習しているつもりですが、成熟には時間はかかりそうですね。
即効性がありそうなのは、タイプの逆の人をサブリーダーに立てるということ。もちろんその両者に強い信頼関係があるのが前提ですが。双方のタイプが補い合って、初めてメンバーが安心と充実感を得られるのではないかと思います。
これって、夫婦にも当てはまるのかな。父=虎、母=コアラである必要はないけれど、夫婦で両方の性質がカバーされていると、子どもが安定するイメージはある。